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【パスナビ】 千羽鶴

今でこそ「国際交流センター」を設置している大学や地方自治体は多いが、
1970年代にはまだ「国際交流」の意識そのものが、定着していなかったと思う。
地方都市では 外国人が道を聞くと、たいていの日本人はあわてて逃げてしまう。
まだ そんな時代だった。


その頃、愛知県内の小さな街に、レオナルドさんというアメリカ人が来日した。
カントリーミュージックが好きだという、陽気なビジネスマンだった。
全く馴染みのなかった東洋の国「JAPAN」に、突然、転勤になったという。
しかも「TOKYO」や「KYOTO」のような大都市ではなく、
今まで聞いたこともないような街に住むことになったのだ。
日本語は全く話せない。
もともと知り合いが日本にいたわけでもない。
でも、「持ち前の明るい性格で乗りきれる」 と前向きに考えることにした。

日本の生活に慣れてきた頃、体調の異変に気づいた。
慣れない国で暮らすストレスのせいだろう、と思っていた。
当時、ボランティアとして外国人の世話をしていた みちる先生は、
レオナルドさんのことを心配して、病院に連れて行った。
その精密検査の結果は、あまりに衝撃的なものだった。

末期癌だった。

「なぜ、俺だけこんなひどい目に遭うのか…」
それまで涙など人に見せたことのなかったレオナルドさんが、
「日本に来たことを後悔している」 と みちる先生の前で 泣きくずれた。

みちる先生は慰めの言葉も見つからず、レオナルドさんにこんな話をした。
「日本には『千羽鶴』というものがあって、皆で力を合わせて折り紙で鶴を
 千羽折ると、病気が治ると信じられている…」

けれども、「俺にはそんな沢山の友達もいない」 とレオナルドさんはうつむき、
「身の回りを整理して、できるだけ早くアメリカに帰りたい」 と告げた。

みちる先生は、教えていたクラスで生徒達にレオナルドさんの話をして、
「レオナルドさんが帰国するまでに、皆で千羽鶴を作ってみない?」 と提案した。
生徒達の反応は鈍かった。
それでも、大半の生徒が渋々ながらも 鶴を折り始めた。

しかし、合計で300羽を越えたあたりから、なにかが少しずつ変わり始めた。
今まで人と話せなかった内気な生徒が、率先して鶴の折り方を友達に教えていた。
勉強が嫌いで机に向かわなかった生徒が、夢中で鶴を折り始めていた。
休み時間も惜しんで折り鶴をする生徒が、しだいに増えていった。
誰の鶴が綺麗だとか、何羽折ったとか、生徒達の話題の中心も変わっていった。
やがて生徒達がその家族に伝え、保護者や兄弟姉妹までが折り鶴に加わった。
夕食後に一家でテーブルを囲んで、折り鶴をする家庭まで出てきた。
「レオさんのツル」 という合言葉が、どんどん広がっていった。

レオナルドさんが帰国する日。
両腕で抱えきれないほどの、数千羽の折り鶴が彼に手渡された。
「やっぱり俺は、生きているうちに日本に来られてよかった」
彼が残したのは、感謝の言葉だった。

その後まもなくして、レオナルドさんは故郷のミズーリ州で亡くなった。
しかし、この 「レオさんのツル」 の一件がきっかけになって、
愛知県の学校とミズーリ州の学校の交流が始まった。
地域の外国人の生活を支援する体制も、出来上がっていった。

「国際交流は、大きく構えるものではなくて、いつでも誰でも気軽に始められるもの」
それが、みちる先生が教え子達に伝える言葉のひとつである。


英語教育と日本語教育にたずさわり、
国際交流のボランティアとして
草の根的な活動を続ける、
みちる先生のパスナビオフィシャルブログが
始まりました。 ぜひご覧ください。
  ▼ ▼ ▼ ▼ ▼







(いけまる)

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