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【パスナビ】増田明美さんが「頑張れ」を言わない理由

「ほがらか」 という言葉が、とても似合う人である。

先日、パスナビの取材でスポーツジャーナリストの増田明美さんとお会いした。
あまりの強さから「天才」や「女瀬古(おんなせこ)」などの異名をとった、
女子マラソンの世界では伝説的なランナーである。

増田さんは高校生の頃から、トラック競技で次々に日本新記録を出していた。
アジア陸上選手権では外国のオリンピックメダリストや長身の有名な選手達を、
その「日本の高校生」が 小さな体で次々と抜き去っていく…

そんな予期せぬ展開に、各国から来た報道陣も 自分達の目を疑った。


増田さんの初マラソンは、
千葉県匝瑳郡(現在の山武郡)で行なわれた 小さなマラソン大会だった。

ところが、ここで いきなり優勝。
しかも、その大会で当時の日本最高記録をあっさり更新してしまった。

増田さんの「天才」ぶりは、例を挙げればキリがない。


しかし本当は、増田さんは苦しんでいたという。
もともと強靭な体ではなく、貧血や怪我とも闘っていた。
けれども、走れば走るほど膨らむ、周囲からの大きなプレッシャー。
皆の期待に応えなければいけなかった。
過度な練習。  過酷な節制。  緊張の連続。
「勝て!」「頑張れ!」の声だけが、増田さんを夢の中まで追いかけていた。
過労と貧血で、大会の途中で意識を失って、「途中棄権」したこともあった。
オリンピック直前に開催された 増田さん本人のための壮行会にも足が向かず、
ふと我に返ると、一人で夜の海に向かっていたこともあった。
心も体も ボロボロの状態だった。

1988年の大阪国際女子マラソン。
このとき、じつは増田さんは太腿まで傷めていた。
それでも、勝ちにいかなければならなかった。
しかし、どんなに頑張って走っても、体が進まない。
先頭集団から大きく引き離され、全身が限界に達していた。
そのとき増田さんの耳に飛び込んできたのは、沿道からの厳しい怒号だった。
「もっとしっかり頑張れ!」 「どうした!」 「何やってんだ、はやく!」
そして、一人の観客の怒鳴り声が 胸の奥まで突き刺した。
「増田、もう、お前の時代は終わったんや!」

…おもわず足が止まった。

周囲のあらゆる騒音が、津波のように襲いかかってきた。
そこには、もう何も自分を守ってくれるものは なかった。
かつて子供の頃には、いつも優しいおばあちゃんがいて、
悲しいときには「大丈夫…」と、ぎゅっと抱きしめてくれた。
そのおばあちゃんも、もう そこにはいなかった。
こんなに大勢の人達の真ん中にいながら、ひとりぼっち…
途方もない孤独感と悔しさだけが渦巻いていた。
この場所で何もかもやめてしまおうか。
また「途中棄権」なのか。
これじゃ、前までの自分と何も変わっていない…

増田さんは、再び走りだした。
まるで金属音のような冷たい轟音の中を。
もう 誰のためでもなかった。
ただ今までの自分を乗り越えるために、
ゴールまで、ひたすら走り抜いた。

こんなことを書くと 増田さんのファンの方々からご批判を受けるかもしれないが、
増田さんは「天才ランナー」ではなかったと、私は思う。
しかし、そのハートで幾つもの苦難を乗り越えてきた、
いわば 「努力のランナー」だと思う。

増田さんは、後輩の選手達に「頑張れ!」とは言わない。
その「頑張れ」という言葉の残酷さを、誰よりも知っているからだという。
オリンピックに出場する後輩の選手達に対して、
増田さんは こう語りかけるそうだ。
「大丈夫、あなたらしく走れば、それでいいよ…」

だから増田さんの笑顔は、あたたかい。



『高校受験パスナビ』では、
増田明美さんへのスペシャルインタビューを掲載しています。

増田さんからパスナビ読者への自筆のメッセージをクリック!
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(いけまる)

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